あれは昭和63年の6月22日(水)から7月18日(月)に横浜市にある大学病院に激症肝炎の疑いで入院していた時です。
季節柄、一階のフロアには七夕の飾り付けがしてあって千羽鶴や短冊が沢山吊り下がっていました。
だから覚えているのですが祖母逝去の報せが入りました。
何でも区の施設に登録されていた連絡先が父の家になっていたそうで、でもその父は9年前に55歳で亡くなっていて住んでいる私は入院中でいなくて…それから色々とあったそうです。
寅年…1902年生まれの祖母は享年86歳でした。
父は「俺より長く生きてるんじゃないの」と言っていてその通りになりました。
2階の押し入れには父が祖母に送るつもりだったのに送るのをやめた私や姉や母の写真が遺されています。
何故送るのをやめたのかは想像に難くありません。
私は祖母を他山の石として父から「自己憐憫」という難しい言葉をお教えられました。
「あたしは体が弱いから…」
ですから私は仮想現実の世界でしか自分の体力がないことを表現できなくて死ぬ直前まで働き続ける人間になったようです。
こんなのがあったのを思い出しました。
ペットの日記: 写真倉庫
http://hamsternohamy.seesaa.net/article/11770293.html
私が入院していると誰かが亡くなる事が多いといえる程多くはないのですがそれだけ一生の内で入院している期間が長かったという事でしょう。
人間も生きている間のゴタゴタはなくなって平和に平等に虹の橋を渡るのだと思います。
と信じたいですね。
私が明日も膵臓癌の検査に行く病院の一階にも昨日から七夕の飾り付けがされていました。
ついでに書けば9年前の7月7日(金)に関東地方を直撃した台風3号のせいで当時の私の上司が退職して私の人生は変わっていますし(私が後継者だった話が消えました)来月の7月7日(火)に膵臓癌だと分かるとやはり私の人生は変わると思います。
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